癒し

「癒されたいとあなたは思ったことがありますか？」

私が人気のない街路を歩いていると
壁にもたれかかった見知らぬ男がそう声をかけてきた

街中にはことごとく人の姿が見あたらなかった
誰も見上げることのない建物の屋上にあるネオンの広告塔が
神経を麻痺させるかのように点滅していた

男は続けて口を開いた

「最近人々の間では夕刻にプールへ行き
ぬるま湯の中に体を沈めて
ぷかぷかと浮かぶことが流行しています

人々の顔からはあらゆる筋肉が弛緩して
だらだらとよだれが流れ続けています

人々は何を求めているのでしょう？
湯につかった人々はいつも深い嘆息とともにこう言います
『とうとう私は癒されてしまった』と

想像出来ますか？
人々の感覚と気持ちを？
そして癒されてしまった人々がその後の人生で
何をして過ごすのか理解出来ますか？

ええ、人間とは弱い存在です
シロップ漬けのミカンが嫌いな人はいません
昔、そのミカンを食べて
『とうとう私は癒されてしまった』と言った人々がいるのを
あなたは知っていますか？」

私は男を背にして歩いていった
郊外に向かって歩いていったのだった

郊外には人々が体を土の中に沈めて
だらしなく笑う場所があった

「そろそろ私も癒されなくては」と
私は小さく呟いた